---- Snowy & Chemistry ----
Randy Tribute Tour Report




3月19日はランディ・ローズの命日ですが、今年はちょうど没後20周年に当たります。
そこで、私達は長年の夢を叶えるべく、彼の命日にお墓参りに行って参りましたので
そのご報告をしたいと思います。
かなり長くなりますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

Written by Snowy , Photo Chemistry

2002年 3月17日(日)

この時期は春休みや卒業旅行シーズンと重なる上に、
春分の日もあり、お勤めの人達が休みを取りやすいため、
出発の1ヶ月以上前から航空券の予約を申し込んでいたにもかかわらず、
キャンセル待ち状態で、10日前になっても希望の航空券が取れず、
一時はどうなることかと思いましたが、
無事に出発の日を迎えることができてひと安心。
(注:命日に墓参を計画される方には早めの手配をお勧めします)

一緒に墓参するChemistryさんと夕方成田空港で待ち合わせをし、
20年来の夢を実現するべく、いざアメリカへ!
日付変更線を越え、同日午前11時頃LA国際空港に到着。
晴れてはいるものの北風が冷たく、東京より寒くてビックリ!
早速、SuperShuttle(空港発着の有料シャトルバス)で、
ランディが眠るSan Bernardinoという街に向いました。
途中、数箇所で他の乗客を降ろし、約1時間半かかって、
San Bernardinoのヒルトンホテルに到着。
(注:市内のホテルはここしかなく、あとはモテルだけなので、
安全第一でヒルトンを選びました。
ヒルトンとは言っても、朝食ビュッフェ付きでツイン1泊$113とお得)

ランディは、LAから東に100km程離れた静かなこの街(かなり田舎)の、
Mountain View Cemeteryという墓地に眠っています。
「ああ、ついにランディの近くまで来たのね」と感動したのも束の間。
とにかく、めちゃくちゃ寒い!
LA同様、San Bernardinoも北風が強く、
パームツリーの向こうに見える山は黒い雲に覆われて頂上が見えず、
何やら怪しい雲行き...。
寒さから逃げるようにホテルに入ってチェックイン。
10時間のフライトの疲れを癒すべく、しばし部屋でくつろぎ、
夕食を食べにホテル内のレストランに行くと、
なんと外はどしゃぶり!それも横殴りの雨!
夜になっても、雨と風は激しくなるし、冷え込む一方。
一体どうなってるんだ〜?(実は寒波が来ていました)

部屋でMTVかVH1でも見られないかと期待していたのですが、
ケーブルTVが入っていなくて、がっかり...。
代わりに、部屋に備え付けのラジオで
KCAL(96.7Hz)というメタル専門のFM局を見つけて
AC/DCやMetallica等を聴いていました。


2002年 3月18日(月)

朝、カーテンを開けると、昨日とは打って変わって快晴!
でも、相変わらず強風で寒い...。今朝は5℃くらいまで冷え込んだとか。
山の頂上は雪で真っ白になっているし、ここは本当にカリフォルニア?
後でわかりましたが、San Bernardino周辺の山ではスキーが出来るそうです。
ランディが眠る墓地になぜ「Mountain View」という名前が付いているのか納得。

今日は予備日なので、部屋でブリオズやダイアリーなどのCDを聴きながら、
明日お墓に供えるカードや手紙を書いてのんびり過ごすことにしました。
お昼を食べに外に出ると、ホテルの並びに全国チェーンのモテルが数件あり、
通りの両側には結構いろいろなレストランが並んでいたので、
車がなくても、どうにか食べて行けそうだとわかってひと安心。

近くのベーグル屋で食べてぶらぶら歩いていると、小さな商店街を発見。
その中に"Inland Flowers"という花屋を見つけたので、
ランディのお墓に供えるお花を作ってもらえるかどうかチェック。
具体的にどんなアレンジにするかは一晩考えることにして、
料金等を聞いて帰りました。


2002年 3月19日(火)

朝11時頃のお墓 ついにこの日が来ました。
お天気は快晴。風も止んで、絶好の墓参日和。
天気予報によれば、昼間は暖かくなるとのこと。やったー!
私たちの祈りが通じたのね!
ホテルで朝食を済ませた後、昨日の花屋に行き、
献花をアレンジしてもらいました。
ランディのイメージに合わせて、白を中心に淡い色の花を
組み合わせ、清楚な感じのアレンジにしてもらうことにし、
出来上がりを待っていると、
私たちの脇を通った店員が足を止め、
「ランディ・ローズのお墓参りに行くの?」
と突然聞いてきました。
「えっ、どうしてわかるんですか?」と聞き返すと、
その店員は、Chemistryさんの胸元を見てにっこり笑いました。
その日ChemistryさんはGジャンにランディのバッジを幾つも
付けていたのです。
花屋のおばさんまでランディを知っているとは、
なんて凄い街だろう!
ランディはなんて有名なんだろう!
Chemistryさんと二人で早くも感動してしまいました。

出来上がったお花を大事に抱えてタクシーに乗り、
午前10時半頃墓地に着くと、
入り口を入ってすぐ左手に、ネット上で見慣れた
あの立派なお墓が立っていました。
すでに10人前後のファンが集まっており、
お墓の前には幾つかお花が供えられていました。
中でもひときわ目を引く、無数の白い花で十字架を
象った大きな飾りは
Ozzy Osbourneとその妻Sharonからのお供えで、
手書きのカードが添えられていました。
早速、私達のお花も墓前に供えると、
それまでの20年間の想いが溢れ出して涙、涙...。

少し気持ちが落ち着いてから周囲を見渡すと、
お墓の隣りにはテントが張られ、その中に椅子が並べられ、
テレビとビデオデッキが用意されていました。
前述のラジオ局KCALのスタッフがやってきて、
KCLAというラジオ局が貼ったRandyの数々のポスター お墓の側面にランディのポスターを幾つも張り、
ビデオの上映準備を始めました。
そして、Quiet Riot(QR)時代とOzzy Osbourne時代の
貴重なライブ映像が夕方まで繰り返し上映され、
これを観ることが出来ただけでも行った甲斐が
あったほどでした。

その後、全米から続々とファンが集まり
(日本人は他に男性が2名来ていました)
ツアーパンフやライブ写真、レコード、Tシャツ、タトゥー等
思い出の品や自慢の品を互いに見せ合ったり、
ランディの素晴らしさを熱く語り合ったりしてファン同士の
交流が始まりました。
中には、ランディのコスプレをしているファンもいて、
アコギを持って来て、"Dee"を弾いたりしていました。

私は毎年命日に読んでいる、88年シンコーミュージック発行の写真・インタビュー集
「Randy Rhoads: Tribute」を持って行ったのですが、
日本でしか発売されていなかったせいか非常に珍しがられ、多くのファンから
「それどこで手に入れたの?見せてもらえる?」
と声を掛けられました。

様々なファンと話しをしていると、
正午過ぎになんとランディのお母様Deloresさんを始め、
お兄様のKelleさん、お姉様のKathyさんとその娘さん、
(娘さんはフライングVがプリントされたTシャツを着ていました。さすが!)
QRのオリジナル・ベーシストだったKelly Garniさん、
QRの秘書を務めていたLoriさんという女性が到着。
セレモニーのようなものは特にありませんでしたが、
その頃には40〜50人集まっていたファンを前に
お母様とKellyさんとLoriさんが順番に挨拶をすると、
今度はファンとご家族らとの交流が始まりました。

なお、この時のお母様のご挨拶の中で、
雑誌「Guitar World」最新号に掲載されているランディに関する記事は
デタラメなので信じないで下さいとのお願いがありました。
(注:日本では「PLAYER」に翻訳版が掲載されています)
「あんな下品な言葉遣い、私はしないわ」と、
ご自身の言葉が引用(でっち上げ?)されている部分に対しても
かなりご立腹の様子でした。

お母様は、ご存知のとおり小柄で銀髪の優しい感じの女性ですが、
82歳という高齢にもかかわらず、自宅と墓地の間の片道1時間以上の道のりを
自らキャデラックを往復運転されていたほどお元気で、
今でもご自身が経営する音楽学校Musoniaで、
フルートやサックス等、数種類の楽器を教えていらっしゃいます。
1人で音楽学校を切り盛りされて来ただけあって、
見かけに寄らず、芯の強いタフな女性という印象でした。
さすが、ランディのママ!

お兄様は気さくで陽気な長髪のおじさんですが、
すっかり太ってしまって、昔の姿を知っている人にはちょっとショックでした。
一方、お姉様は顔だけでなく、スリムな体型や、

物静かな雰囲気までランディそっくり!
もしランディが今でも生きていたら、こんなふうになっていたのかなあ
と想像せずにはいられませんでした。
この日は日差しが強かったので、お姉様はサングラスをかけていらしたのですが、
無理を言って外して頂きました。
すると、そこにはランディの20年後の姿が!本当にソックリ...。
私たちが言葉を失っていると、
「でも、私は彼のような青い瞳じゃないし、何よりすっかりしわも増えちゃったわ」と
お姉様ははにかみながら微笑んでいらっしゃいました。

お兄様は当時ドラムやボーカルを担当されていて、
様々なミュージシャンと交流があったため、まるでLAメタルの生き証人の如く、
LAで当時活躍していたバンドについて貴重なエピソードを次々と語って下さいました。
QRも共演したことのあるSuite 19というバンドのドラマーはTommy Leeだったとか、
Van Halenの当時のセットリストはファーストアルバムの曲順どおりだったとか、
「僕が昔付き合ってたガールフレンドはDave Lee Rothの彼女だったことがあり」
なんていう裏話まで飛び出して来たかと思うと、
一番最近の話題では、Van HalenはDaveと2曲レコーディングしたけど、
それ以上一緒に出来なかったので、ワーナーから契約を切られたなど、
それはもう凄いネタばかりでした。
(Van Halenワーナー離脱の話しは、あくまでお兄様が聞いた話だそうです)

また、お兄様はこの日のために、
ランディの未公開写真を使った20周年記念のチラシ
(チラシと呼ぶには立派すぎる代物ですが)を作成し、
集まったファン全員に1枚ずつプレゼントして下さいました。
(注:これは例のフジテレビの特番中、
命日当日の墓地の様子を紹介したシーンで一瞬映っていた物です。
ちなみに、あのシーンでチラシを持っているのはChemistryさんです)


お姉様は、私が持って行ったランディ写真集を見ながら、
「右耳のこのピアスはオジーがプレゼントしてくれたもので、
ティファニーのダイアモンドなのよ」とか、
「ランディがはめている指輪には、1つ1つにエピソードがあって
これは元々おじいさまのもの」とか、
小学生時代のランディの写真を指差して
「私もここに写っているの(右斜め後ろ2列目)」とか、
本当に身内にしかわからない貴重なお話をして下さいました。
Randyのお姉さんが焼いたクッキー。左上に写っているのはあのKERRY GARNI コレション!! また、ファンのために、8分音符やト音記号の形をしたかわいいクッキーを
バスケットいっぱい焼いて持って来て下さいました。とってもおいしかったです。
(そういえば、このクッキー以外、夜まで何も飲まず食わずだったなあ)
元QRのKellyさんは、現在プロのカメラマンとして活躍していらっしゃいますが、
前述の写真集にも掲載されている写真やイラスト等の思い出の品を持参して、
それにまつわるエピソードをいろいろ語って下さいました。
日本の音楽雑誌の切り抜きも、アルバムにきれいに整理されていて
一緒に見ていたアメリカ人ファンから、「何て書いてあるの?」と質問されました。
QRのメンバー全員がハッピを着ている写真は
日本向けに撮られたものだと思っていたのですが、
「あれはたまたまカメラマンのスタジオにキモノがあったからみんなで着てみただけで、
別に日本向けというわけじゃなかったんだよ」とのことでした。な〜んだ!

元秘書のLoriさんは、QR時代のランディのトレードマークだった
水玉模様のボウ・タイ3種類を収めたケースと、
写真やライブチケット等を集めたアルバムを持参し、
ボウ・タイも含めて当時の衣装は
すべて彼女たちの手作りだったこと等を話して下さいました。

そんな感じで、ご家族らとファンによる「ランディを偲ぶ会(?)」は
夕方日が沈むまで続きました。
ファンもご家族も皆さん本当に良い人達ばかりで、
ランディという1人の青年と彼の音楽を通じて、
見知らぬ者同士がすぐに打ち解けることが出来るなんて、
やはり音楽のパワーは凄いと改めて実感しました。
夕方5時頃撮影・・献花プロジェクトの花がOZZYの十字架の花の両脇に!

私たちはご家族らを見送り、最後まで残っていましたが、
その余韻を引きずりながら、
夕方6時過ぎにファンの車でホテルまで送ってもらいました。
興奮状態で味もよくわからずに夕食を食べた後、部屋に戻ってKCALを聴くと、
今日墓地に取材に来ていたスタッフが取った、
お母様やKellyさんたちのインタビューが早速オンエアされていました。

余談ですが、新聞のテレビ欄を見たら、
なんとMTVで話題の"The Osbournes"が今夜あるではないですか。
これは絶対見なくちゃ!
しかし、前述のとおり、ホテルの部屋にケーブルTVはなく、
MTVが見られないので、
LA在住の友達に電話して「録画してぇ〜」と泣きついたのですが、
あいにく友達はロック好きではなかったため、

「ウチはMTVは入ってない」と言われてガッカリ...。


2002年 3月20日(水)

午前中、LA空港経由でSuperShuttleを乗り継ぎ、
ランディの生まれ故郷サンタモニカに移動した後、
午後、ハリウッドのサンセット・ストリップに出掛け、
RoxyやWhisky a Go Go、Rainbow、Viper Room、Cat Club等、
世界的に有名なロック系クラブを観て歩きましたが、
お兄様のお話しによると、QRがよく出演していたStarwoodはとっくに閉鎖され、
今は普通のお店になっているとのことでした


2002年 3月21日(木)

当初の予定では、この日は現地の友達とLA観光をし、
ランディも見たであろうサンタモニカの海を眺めながら
しみじみと当時を振り返ろうと思っていたのですが、
お墓でお母様からMusoniaの名刺を頂き、
「ぜひ学校にも遊びにいらっしゃい」と招待されたので、
こんな機会はもう二度とないかもしれないと思い、
急遽予定を変更して、またまたLA空港経由でSuperShuttleを乗り継ぎ、
ノース・ハリウッドにあるMusonia School of Musicまで行って来ました。
Musonia School of Music Musoniaは、ご存知のとおり、お母様が設立・運営されている音楽学校ですが、 ランディが音楽を学び、その後自らもギターを教えていた場所でもあり、 現在も様々な楽器のレッスンが行われています。 ちなみに、"Musonia"はお母様の造語で、 musicとsonic(音)をつなげて作ったそうです。
Musoniaは、学校と言っても、大きな校舎があるわけではなく、 静かな住宅街の何の変哲もない古い一軒家といった感じでしたが、 お兄様の言葉を借りれば、ここはメタルの"sanctuary(聖地)"だったようです。 「ジョー・ホームズはここに最も長く通ってた生徒の1人で、 両親が心配するくらい毎日入り浸ってたよ。 ランディがオジーとツアーに出ている間はジョージ・リンチが代わりに教えていたんだ。 他には、ルディ・サーゾがベースを教えていたし、 Megadethにいたニック・メンザもここでドラムを教えていたことがある。 僕は一時期ニックとバンドを組んでいたんでね」と、 またもやビッグ・ネームのオンパレードでしたが、 ランディの周りには有能なミュージシャンがいっぱいいたのですね。 現在は、お母様とお兄様の2人だけで教えており、 お兄様が受付・事務・経理などの雑務も担当されているそうです。 実際、私たちの応対の合間に学校の周りの草取りまでなさっていました。 そのお兄様が自ら校内を案内して下さいましたが、 ランディがレッスンを行っていた部屋が当時のまま残されており、 「この椅子に生徒が、向こうの椅子にランディが座っていたんだよ」 と説明して下さった時は涙が止まりませんでした。 部屋の大きさは四畳弱くらいの小さな部屋で、 椅子の他に置いてあるのはサックス型の大きなランプと、 ランディも使っていたという小さな木製のチェストだけ。 ランディはここにスコアやピック等の小物を入れていたそうです。

ランディはオジーのバンドに加入するまで、 昼間はMusoniaで週に約50人もの生徒にギターを教え、 夜はStarwood等でQRのギグを行うという、 非常に忙しい、でも充実した毎日を送っていたそうです。

ラッキーなことに、私たちはレッスンが一段落したお母様とも話をすることができ、 「思い出せる限りのことは何でもお話しするわよ」とおっしゃって下さったのですが、 2人とも胸が一杯で何も質問が頭に浮かんできませんでした。 お母様がレッスンに使っていらっしゃるお部屋は、 ちょっとしたリサイタルも開ける広いレッスン場で、 ランディが練習に使っていた小さなアンプや、 世界中のファンから寄せられたプレゼントや写真、手紙、雑誌等が 所狭しと飾られており、さしずめ「ランディ博物館」でした。

ふと見ると、QR時代にランディがファンと撮った写真が飾ってありました。 撮影場所はユニバーサルスタジオ近くで、 撮影後に、前述の写真集に載っていたデモを行ったのだそうです。 その日はとても寒かったので、あの写真のとおり、 ランディはブランケットにくるまっていたそうです。 あと、お母様が今一番気に入っていらっしゃるプレゼントは、 ファンが5年もかけて作った1万点のランディの写真を収めた大きな額でした。 (注:フジテレビの特番でもお母様の後ろに映っていました) ランディのギターは別の場所に大切に保管されているそうで、 残念ながらMusoniaにはありませんでした。 お母様曰く「盗まれたくないから」とのこと。 そうですね。今となってはそれが彼の分身ですものね。
そうこうしているうちにお母様は次のレッスンに。(タフだわ〜)
お兄様は「好きなだけ居ていいよ」と言って下さったので、
ランディのspiritを感じながら2人とも感慨にふけっていました。
そして、夕方6時、予約していたSuperShuttleが迎えに来たので、
「思い切って来た甲斐がありました。
お忙しいところ、本当にいろいろとありがとうございました」と
お兄様に心からお礼を述べると、
「そう言ってもらえると僕も嬉しいよ。
とても熱心な2人に感動したから、記念にちょっとしたプレゼントをあげよう」と
言って自分の名刺を机から取り出し、その日の日付とサインを書いて1枚ずつ
下さいました。感動したのは私たちのほうなのに!
後ろ髪を引かれる思いでMusoniaを後にし、サンタモニカのホテルに戻りました。


2002年 3月22日(金)

そんなわけで、LA観光はほとんど出来ないまま、
この日帰国の途に着きましたが、
20年来の夢が叶ってお墓参りが出来ただけでなく、
思いがけずご家族らに会え、Musoniaにも立ち寄ることができ、
涙と感動の完璧なランディ追悼ツアーでした。


さらに、嬉しいオマケがあり、 4月30日(土)の深夜26:45〜27:45にフジテレビで 没後20周年記念特別追悼番組「ランディ・ローズに捧ぐ」が放送されることが、 命日にお墓に取材に来ていたフジテレビの現地スタッフから発表されました。 奇しくも30日はお母様の83歳のお誕生日だそうで、 ご家族も非常に喜んでいました。 アメリカでもいずれVH1あたりで放送されるのではないかとのことです。 番組の概要等は下記のサイトをご覧下さい。
http://www.fujitv.co.jp/nonfix/401randy.html

今年は20周年記念ということもあり、お墓に集まったファンの数は過去最高 だったそうですが、今回のような集まりは毎年命日だけでなく、12月6日の誕生日 にも行われているとのことでした。 お墓もMusoniaも(渋滞がなければ)LAから車で1時間前後で行ける 距離にあり、ご家族も「いつでもファンを歓迎します」とおっしゃって いましたので、今回お墓参りに行けなかった方はあきらめずにぜひ一度足を 運んでみてはいかがですか? きっと生涯忘れがたい体験が出来ると思います。

最後に、ご参考までにお墓とMusoniaの住所を書いておきます。 Mountain View Cemetery 570 East Highland Avenue San Bernardino, CA Musonia School of Music 12111 Tiara Street Valley Village, CA 91607 Phone: (818)761-0521または(818)848-3970 なお、学校の営業時間は14:30〜22:00で、日曜・月曜が定休日ですが、 事前に電話で確認したほうが確実とのことでした。 ランディやご家族への手紙・プレゼント等は学校宛てに郵送して下さい。 学校のホームページやメールアドレスはないそうです。 昔の趣を残しておくという方針で、 ギターアンプ以外のハイテク機器はありませんでした。

以上、大変長くなりましたが、ランディ墓参ツアーのご報告でした。 Randy will remain in our heart forever! Snowy with Ms. Chemistry


Copyright© Randy Rhoads Club 2002